横手盆地の出来方



1.地質年代の説明(新生代)

地質年代
新生代
 第四紀(人類)
完新世
更新世
後期
中期
前期
新第三紀
鮮新世
中新世
古第三紀
漸新世
始新世
暁新世
最新の第四紀地質年代表(国際地質科学連合)は ここ をクリップ  
 
2.第三紀の横手盆地
 (1)第三紀末以前
古第三紀の終わり頃、アジア大陸の東の端が南北方向に割れ始めました。
この割れ目は徐々に拡大し始め海水が入り込んできました。
東北地方の海は初めの頃は浅くいくつかの島になっていました。
その後、日本海は拡大していき、深度も増し、深さは3000m程にもなりました。大陸から離れる過程で日本列島は折れ曲がりました。
時代経過とともに東北地方は隆起に転じ奥羽山脈が出来ました。
従って、第三紀末以前には横手盆地という概念はまだなかった時代です。


 (2)第三紀末
第三紀末になりますと、図のように東北地方は東西からの圧縮力を受けるようになりました。
この圧縮力により東北地方には”しわ”が縦方向に並びました。
”しわ”の高い部分は奥羽山脈や出羽丘陵になり、低い部分は北上川低地や横手盆地になりました。
このように横手盆地は東北地方が圧縮されて生じた”しわ”の凹部の一つでした。


3.第四紀の横手盆地
 (1)更新世前期〜中期
新第三紀後半に入ると地球上にはじめて人類の祖先である猿人 が現れ、簡単な石器を使った原始的な生活を送りはじめました。

その後さらに進化した
原人  が北京やジャワ、アフリカをはじめとして地球上のあちこちに現れはじめました。
彼らはナウマン象を集団で捕獲したり、火を使って集団で生活をしておりました。

そのころの横手盆地の状況はといいますと、東西方向からの引き続く圧縮力により’しわ’がさらに発達しました。すなわち、山は徐々に高くなり、盆地底は徐々に深くなっていきました。
圧縮力が極限に達すると、盆地と山脈との境に千屋断層に代表される多くの断層が形成されました。

この山脈の隆起により山間部の浸食力が高まり、浸食された土砂は平野部に運搬・堆積されました。 この土砂は上図に見られるように沈降する盆地内に順次埋められ、厚い堆積物を持つ横手盆地が出来上がりました。

これが横手盆地の形成過程です。

その後の横手盆地の形成
第四紀の大きな特徴に氷河期の到来があります。地球上の気候の変動が激しくなり、寒期には氷河が広く発達しました。
そのため地球上の水分が大陸の高緯度地方に氷河として残り、その結果、海水面が急激に低下しました。特に河川下流では
           氷河期→海水面の低下→河川の急激な浸食→段丘崖の形成

という過程をたどり、氷河期になると段丘が形成されました。  
並行して、地殻変動による山地の隆起が続き、形成された段丘は古いものほど高位となっていきました。横手盆地では更新世中期の高位段丘がわずかに残っている他、その下位の中位段丘、低位段丘が主に横手盆地東縁に多く存在します。

(2)更新世後期
今から13万年から1万年前の時代です。この時代になりますと、ヨーロッパではネアンデルタ−ル人(旧人)が、またそれを追ってクロマニヨン人(新人)が現れ、洞窟に精巧な壁画を描いていました。

第四紀は氷河期が何度となく訪れ、そのつど海水面は大きく低下しました。そのため、地球上の各地で海峡が陸続きになりました。
日本付近の海峡も陸化し、3〜4万年前には大陸から民族が渡って来て打製石器を使って生活しだしました(旧石器人)。 

最後の氷河期は今から18000年前ごろですが、海面は今より約130m下がったそうです。日本列島が再び大陸と繋がり、縄文人が渡来しました。

海面変動、気象条件等によりは周辺山地の浸食力が増し、山間部からの土砂の運搬量が多くなり、扇状地が形成されました。横手盆地の奥羽山脈側には左図に示すような大小の多くの扇状地が見られます。これらの多くはこの時代につくられたものです。

  横手盆地のもう一つの大きな特徴として、盆地中央部の地表面付近に泥炭層が分布しています。これは最近までこの部分が湿地帯であった事を表しています。


(3)完新世
1万年前から現在までの時代です。気温も徐々に高くなり、海水面も回復してきました。今から6千年前には気温は最高に達し、氷河も解け海水面は今よりも数m上昇しました。縄文海進といわれる時代です。

いま注目されている青森県の三内丸山地方では、この時代にかなり程度の高い生活が営まれていたことが報じられています。   
横手盆地内でも多くの遺跡があります。河川沿いの段丘上に村ができ定住生活を始めた頃です。現河川沿いに最低位段丘も発達しました。

また奥羽山脈側では土砂の供給が引き続き行われ、更新世につくられた扇状地の上に新しい扇状地ができ、複合扇状地を形成しています。

この時代の雄物川は盆地内のあちこちに流路をもっていたようです。左図(参考文献(2))は横手盆地内の旧河道を示しましたが、大きな流路が数筋見られます。この流路は東側からの土砂の供給により西側に追いやられ、現在は盆地西縁の出羽丘陵沿いを流下しています。


参考文献・図書
(2)東北地方建設局 治水地形分類図 東北地方分類編
(3)井尻正二 大氷河時代 東海大学出版会
(4)平 朝彦 日本列島の誕生
(追)
日本人はるかな旅(NHKスペシャルより)

 日本列島に深く根付いて森を中心とした豊かな文化を築き上げた縄文人。その骨格から、DNAを採取して、アジア各地の人々のDNAデ−タと照合したところ、以外な事実が浮かび上がってきた。骨の形態などの研究から、縄文人のル−ツはアジア南方ではないかという見方があったが、DNAの分析結果は、北のシベリア・バイカル湖周辺に住むブリヤ−ト人が遺伝的に最も縄文人に近いことを示したのである。
 ブリヤ−ド人の居住地域に近いマリタ遺跡からは、新人(ホモ・サピエンス)が約23,000年前から暮らしていた跡が見つかっている。マンモスなどの大型動物を狩猟しながら生きていた太古のシベリアの人々が、日本人の遠い祖先であることが明らかになってきたのだ。

  

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