横手市の今昔写真


 横手城 横手城(七曲坂) 二の丸 横手城からの風景  蛇の崎橋 蛇の崎河原と鐘楼 牛沼 かまくら
 中の橋 上の橋 大町 四日町 横手駅 駅前通り  大鳥井山 大水戸町 北都銀行と図書館 根岸町付近
 横手川改修 山田屋 市立南小学校 前郷二番町 木村屋商店  旅館平利 学校橋 横手幼児園 裁判所
 横手市役所 横手病院



横手城
H28年

横手城は、新緑、桜、つつじと春の景色の移り変わりを満喫できる名所である。
ここからは横手市街地を一望できる。

昭和40年(*1)

横手城は昭和40年に建てられたもので、城内は資料館と展望台からなる。写真は建築当時のもので観光客でいっぱい。  
昭和29年(*3)

まだ天守閣が建てられていなかった時代の写真である。
武者溜まり跡で行われた観桜会の当日の様子。正面に見える舞台でいろいろな催しが行われたようだ。

大正末(*1)

そもそも、歴史的に横手城には上写真のような天守閣はなかった。横手川、奥羽山脈、明永沼、牛沼等の天然要塞に囲まれた城だった。

一段と高くなった土塁上(二の丸跡)に観光用の天守閣が建てられた。
戊辰戦争前の絵図(*4)

柴田楳渓筆・小松鳳来写「横手城の図」(大正期の回想図)

横手城にあった建物群は戊申戦争で焼失した。

左絵は有名な画家が焼失前のお城周辺の様子を大正時代になって思い出して描いた絵である。

本丸、二の丸の他に、大手門と七曲坂(下写真で拡大)、観音寺、横手川の材木流しなどが描かれている。

右上の一段高い位置の建物群が本丸御殿、左上が二の丸、間の低い平場が武者溜まり。本丸御殿は5つの入母屋屋根でつながった大きな建物であった。二の丸には城代が住んでいた。  



横手城(七曲坂)
H26年

根岸町の「公園入り口」看板からお城へのジグザグ路(七曲坂)。


下写真
七曲坂を登り切ったところが大手門跡(標識)。
背景の高台は本丸跡。

大正期(*3)
左写真:今と全く同じ景色。
藩主と城代だけが馬で登れた道とか。

下写真:上絵図の一部拡大
大手門と七曲坂が描かれている。



横手城(二の丸)
H26年

現在のお城の裏(二の丸跡)。

下写真と同じ角度から撮った写真。後ろのお城、石碑、桜の木の形が同じである。

左側に見える石碑は「山下九助」(大町の木村屋菓子店の創業者)の碑である。

昭和56年

このころは地面に芝生は無く子供の遊び場だった。



横手城からの風景
H26年

横手城からの初夏の市街地。

蛇の崎橋と横手市街地と鳥海山が見える。



昭和56年(*)

左の大きな建物は旧横手市役所。昭和38年に横手病院の跡地に建てられ平成元年に中央町に移転した。

昭和16年頃(*2)

蛇の崎橋の向こうの小さな三階建ての建物は料亭『山田屋』。  
明治35年頃(*3)

蛇の崎橋上流の大きな建物は公立横手病院(明治22年開院)。



蛇の崎橋
H22年

左写真:蛇の崎側から四日町方面を写す。平成13年に都市計画事業で移設・新築された。

新旧橋の位置(航空写真)

左写真は移設中の新橋と、約70m上流の旧橋の両方が写っている。
蛇の崎橋は昔から横手の象徴である。江戸時代には、横手川(旭川)を挟んで北側の武家屋敷側(内町)と南側の町人まち(外町)を結ぶ橋の一つであった。 蛇の崎の名前の由来はこちら
@左下写真:昭和6年
右上の航空写真の旧橋の新築時の写真。昭和6年から平成13年まで70年間市民に親しまれた。
A右下写真:昭和4年頃
左下写真の新築前の写真。けっこう広い木橋の上で人力車、荷車、自転車、また多くの子供たちが遊んでいる。子供も大人も着物姿だが自転車では洋装である。橋は子供たちの遊び場だったようで、橋のらんかんをまたいで遊んでいる子供もいる。向かいの建物は横手郵便電信局。
@昭和6年頃(*1) A昭和4年頃(*1)



蛇の崎河原と鐘楼
H27年

横手川沿岸は昭和の終わり頃、国から「ふるさとの川モデル事業」に指定され、環境に配慮して整備された。護岸擁壁は背後のお城との調和を重視して造られた石積み擁壁で、石は男鹿産の安山岩を使用。

鐘つき堂前の護岸はお城の石垣のように上部が急の寺勾配。

大正初期(*1)

左写真:今から約100年前の写真。昔は川の中で子供たちが裸で遊んでいた。

大正末期(*1)

大人たちは洗濯したり、桶を洗ったりしている。



横手公園:牛沼
H22年

現在の牛沼:下写真とほぼ同じ角度から撮ったもの。
休日は多くの釣り人で賑わっている。春は桜が沼面に映って蓬莱橋と調和して美しい風景を造りだしている。

最奥の山は横手スキー場。その手前は広域農道が通りトンネル入り口がある。

昭和33年頃(*1)

戦後十数年がたち、世の中も少し落ち着いてきたころ。昔から市民に親しまれ多くの人が訪れていたようである。
蓬莱橋はまだ建設されていない(昭和36年建設)。



かまくら
H21年

400年の歴史があるといわれる横手地方の小正月行事。
かまくら内には昔水不足だったことによる水神様が祀られている。
いまは、観光化されて数十万の人が訪れる観光行事となってしまった。

昭和11年に来日したブルーノ・タウトが絶賛した「美しい日本」は下の風景である。

昭和30年頃(*2) 昭和初期(*2)

子供たちはゴム長靴もなく"わらじ"をはいていたようですね。



中の橋
H22年

正面左側の大きな建物は横手興生病院。道路の突き当たりは裁判所。

昭和2年頃から永久橋になったが昭和22年に流失した経歴を持つ。

昭和10年代(*3)

橋は狭いがコンクリート製になっている。護岸もしっかり整備されている。
大正7年頃(*1)

『鶴の湯』新築時のにぎわいとか。  
明治40年頃(*4)

左の三階建ての建物は料亭『旭盛館』(明治35年建築)

橋を渡りきった道路の突き当たりは当時も裁判所(明治17年建築)。

上の橋と蛇の崎橋の間にあるので中の橋といわれる。  



       
上の橋
H27年

昭和57年に都市計画により新しく掛けか替えられたもの。

昔は大町側に「浄光寺」があったので浄光寺橋とも呼ばれた。

「上の橋」の向こうに「学校橋」が、その下流に「中の橋」もチラっと見える。
    
昭和2年頃

昭和元年に洪水で流出し、昭和2年にコンクリート橋に架けかえられた。

「上の橋」の向こうは「学校橋」。



大町
H27年

大町中丁から下丁方面をみる。
江戸時代に武家屋敷に対抗して造られた町人のまちで、昭和の後期まで横手の中心街。その後賑わいの中心は駅前方面へ移る。

昭和32年頃(*3)

道路工事中の大町通り。
木村屋の「柿羊羹」、「秋田銀行」の看板が見える。

大正3,4年頃(*1)

大町上丁。今と比べても人通りが多い。馬、乳母車も見える。
道路の両サイドには側溝がつくられているようだ。

明治末頃(*1)

やはり人通りが多い。菅笠、日傘が見られる。

自転車が見えるが、自転車が横手に初めてお目見えしたのは明治33年とか。
ほとんどの家で屋根に石を並べている。




四日町
H27年
四日町上丁から中丁方面をみる。大町と同様、以前は横手の中心街だった。

@昭和40年頃(*1)
高度経済成長の影響を受け、人も車も増えかなり活気が出てきた時代。
榊田商店、食料品のマルシメ、秋田相互銀行、大丸、月星靴、8の日は特売日等の文字が見える。榊田商店はその後「主婦の店」となった。

A昭和4年頃(*1)
自動車、自転車、荷車が混在している。

B大正初め(*4)
’市’が立つ日は周辺から多くの人が集まった。

C明治35年頃(*1)
100年以上前の写真。この時代まだ電柱は見られずランプ生活である(横手では明治43年点灯)。

@昭和40年頃 B大正初め頃


A昭和4年頃 C明治35年頃



       
横手駅
H27年

平成23年に改築された横手駅。近くのYYプラザもオープンした。
    
昭和53年(*3)

駅前開発事業と並行して進められてきた横手駅の改築もほぼ終わった頃。

駅前広場がオープンしたのが昭和54年。
    
昭和40年代初め(*2)

左写真:昭和41年には電車の乗車数が1日6300人に達し(横手市史)、駅前は手狭になってきた。(参考:平成23年乗車数は1日1400人程度)


駅前開発前(*3)

左下が横手駅と駅前広場。右下の大きな建物は平源ホテル。

平源ホテルは昭和53年に駅前広場拡幅のため解体された。  
    
大正3年頃(*1)

横手駅のホーム  
    
明治後期(*4)

明治38年:平鹿郡横手町に「横手停車場」が開業。
大正 7年:横荘線が開業。
大正13年:横黒線(後の北上線)が全区間開通、駅舎改築。
昭和46年:横荘線廃止。
昭和53年:駅舎改築。(上写真)
平成23年:駅舎改築。(上写真)  



駅前通り
H27年

閑散とした日曜日の朝の駅前風景。平成10年前後から、ジャスコの撤退、平鹿病院、横手工業高校の移転もあり、賑わいの中心は高速道路入り口付近〜国道13号側に移った。

@:昭和54年
ユニオン、ジャスコが駅前に開店したのは昭和52年。駅前広場は昭和54年完成。駅前開発事業が終わったのは平成元年。駅前はしばらく市の中心として賑わった。

A:昭和30年頃
右側の建物は平源ホテル。昭和4年に竣工(木造3階建て)、昭和53年に取り壊された。永らく横手駅前のシンボルだった。

B:昭和2年
国産振興博覧会がべこ河原等で行われ、人通りが多い。駅前食堂石川屋の屋根看板には、親子丼、天丼、さしみ、西洋料理、カツ丼等の文字が読み取れる。

C:大正2年
タクシーならぬ人力車が数台客待ちしている。

@:昭和54年(*4) B:昭和2年(*3)

A:昭和30年(*1) C:大正2年(*1)



大鳥井山
H22年
大鳥井山:大鳥公園の南端にある丘陵。下写真に見られるように今でも山頂に大鳥井山神社がある。

大鳥井山神社(中央の森の中の横手川側)
大鳥井山は標高80m(比高約24m)の丘陵で旧石器時代から人が住んでおり、旧石器、縄文時代の遺跡が発見されている。また、大鳥井山と北側に続く小吉山は、横手川、吉沢川、明永川に囲まれ、西側は急峻な侵食崖が連なり、東側、北側には土塁・堀をめぐらした戦国時代の立派な城柵だったようだ。この城柵及び金沢の柵は当時この地方に一大勢力を持っていた清原一族の城柵であり、官軍源義家・清原清衡軍に敗れ落城した(後三年の役)。
大正5年頃(*1)

昔は山に木が少なく大鳥井山神社が透けて見えていた。左側に崩壊した地肌が見えるが、100年後の今でも(上写真のもう少し下流側から見ると)崩壊地形が見える。
崩壊地形は岩盤が横手川に侵食されて出来た急崖であり、表層が薄く常に地肌が露出している。

今では見られなくなったが、子供たちが川の中で遊んでいる姿が写っている。



大水戸町
H27年

大水戸町から平城町あたり。蛇の崎町の対岸。

人家が密集して狭い道路は昔のまま。最近、護岸整備にともなって川沿いはきれいに歩道が設置された。

大正10年頃(*1)

下写真(左写真の拡大)
川岸の丸太杭による土留めが崩れかかって何とも不安定。まだ人家もみすぼらしい。どこか未開の国のよう。



北都銀行と図書館
H22年

緑の看板が「北都銀行」。看板の右手奥に銀行の建物がある。右側の建物が今の横手市立図書館。

 
昭和22年頃(*1)
左写真:北都銀行の前身である羽後銀行の看板。
看板の右側の建物は羽後銀行(下写真)の一部。後に羽後銀行から寄付され(旧)市立図書館となる。

正面から見た羽後銀行(*4)
 



根岸町付近
H27年

大町下丁から根岸町をみる。後方の白い建物は移転した城南高校。1999年に 同じ根岸町から横手城の下の高台に移転した。2008年から男女共学になる。この近くも空き家が多くなっている。

昭和40年

大洪水で根岸町一帯が浸水。上の写真のように高い擁壁がまだなかった。  

明治時代(*3)

後ろに見えるのはお城山。戊辰戦争で焼失しお城はない。  



横手川河川改修
改修後(現在)の航空写真

横手川(市内)は記録に残るだけで15回の氾濫があり、昭和の終わりころから平成の初めにかけて河川改修工事が計画・実施された。

氾濫対策としては
@横手川を拡幅すること
A直線化すること
B川底を深くして両岸に擁壁を建設すること

さらに橋は全部掛け替え(蛇の崎橋は移設)。



河川改修後は大雨でも、旧市内の横手川は氾濫することはなくなった。 (改修後の大雨時の写真)

 
改修前(1976年撮影)の航空写真

左写真の赤線は改修後の河川形状。橙色の線は都市計画事業で、拡幅または新規に建設

された主要道路である。

工事のため、横手川沿いの民家、特に蛇の崎町の南岸、川原町全体、羽黒町(南小学校

付近)が河川計画内に入り民家は立ち退きをした。

旧川原町の移転跡地には、記念碑が建っている。 (移転記念碑写真)



   
割烹:山田屋
左写真:平成63年(*5)  

正面玄関側からみる。立派な建物である。

左写真: 洪水でも大丈夫なほど高い石積み擁壁が建設されている。

その後、都市計画事業のため大町下丁に移転したが、今はない。  



左写真:(*4)山田屋とミニかまくら。対岸から山田屋を見る。



左下写真:明治30年頃(*1)

割烹山田屋は明治28年に四日町下町で開業(この時はまだ電灯がなくランプ生活の時代)。

料理専門店としては、横手で最初の店。

3階建てで2,3階に大勢のお客が外を見ている。
1階は増水に備えて物置にでもなっているのだろうか。

川岸は丸太の親杭に横板の簡単な土留め壁が続いている。土留め壁は低くこのあたりは洪水のたびに被災したのではないかと思われる。

 




昭和元年発行の横手町の主要市街地図(*4)

赤色は山田屋の位置
点線は現在の橋の位置。

横手郵便電信局も記載されている。  



横手市立横手南小学校
H26年

平成5年に愛宕山側に寄せられて新築された。平成26年には創立140年となった。

生徒数は1学年100人程度で全体で600人弱。  

昭和12年(*2)

日中戦争が始まり、暗い時代に進んでいった頃の写真。

写真の学校は昭和11年に改築されたもので、土地区画整理事業で(上の写真に)改築されるまで使用された。  

明治40年頃(*1)

明治7年に横手尋常高等小学校として設立された。  



前郷二番町付近
H26年

駅方向から高橋耳鼻咽喉科クリニック方面を見る。

この医院は昭和54年に駅前開発事業により建て替え。

 
昭和33年頃(*1)

上クリニックは昭和18年に現位置に「高橋医院」として開院。
高橋 眼科、耳鼻科の看板が見える。

駅前通りであるが自転車が道路際にあちこち置かれ、子供連れの婦人や、リアカー付き自転車が道路を占有している。  



木村屋商店
H26年

明治35年頃の創業で100年以上の歴史ある菓子店。

この建物は文化庁の有形文化財に登録されている。

’はたはたパイ’や、創業時から製造・販売している’柿羊羹’が有名。

羊羹を包んでいるアルミ箔や薬に使われているオブラートはこの店の創業者「山下九助」が発明したもの。

 
昭和初期(*4)

左写真:真ん中の黒い建物が木村屋。左隣が秋田銀行。

明治38年頃(*4)

「欧米各国洋酒食料品缶詰類販売」の看板あり。  



旅館平利
H26年

写真をみるとすぐに行ってみたくなるような店ですね。


 
平成15年(*)

隣の平源旅館とともに横手を代表する老舗旅館。  

 
昭和2年頃(*2)

明治元年創業。

昭和の初めころの大町通り(羽州街道)は平源本店、平利旅館、木村屋、羽後銀行、秋田銀行と立派な建物が続いていた。  



学校橋
H25年

昭和55年に都市計画事業により架け替えられた。学校橋とその周辺は、橋上公園、その付近の彫刻、歩道脇にある羽黒の柳やケヤキ、桜の大木の根元保護、川に降りる多くの階段等々、建設当時流行った「アメニティ」の考えを十分取り入れた美しい河岸公園を形成している。

学校橋は昭和62年、「手づくりふるさと賞(建設省)」を受賞している。


橋上公園

橋の歩道上には裸婦像、流れる池、童女の像等がある。

 
昭和初め頃(*3)

大正15年に洪水で流されコンクリート橋が作られた。

大正11年に建築された「横手町役場」が写っている(学校橋を渡った左側)。  

 
大正10年頃(*1)

桜が満開の頃。学校橋はまだ木橋。「横手町役場」はまだ建設されていない。  

 
明治30年代(*3)

明治30年頃、横手尋常高等小学校に通学のために掛けられた橋。橋の上には大勢の児童が見える(新橋完成のため?)。  



社会福祉法人 山崎福祉会 横手幼児園
H26年

改築なった横手幼児園。横手では最も歴史のある幼児園。



改築前

改築前の写真(HPより)。

 
昭和38年頃(*4)

50周年記念祭とあることから、昭和38年ごろの写真と思われる。

 

 
昭和7年(*3)

羽後新報社長だった山崎忠剛が私立横手幼稚園を設立。設立当初は2階建てだった。開園は大正2年。

 



 
裁判所
H26年

左写真:坂道の突き当たり右側の建物が裁判所。高台(上野台)にある。



裁判所正面。新町名の城南町に所在。  

明治末頃(*3)

左写真:裁判所は坂道を登りきった場所。
     坂道の真正面に入り口(下写真)があった。



建設当時の治安裁判所(*3)

明治17年に完成、開庁している。

当時は子供たちが裁判所下の坂で’そり’を楽しんだ。  



 
横手市役所
H26年

横手市役所本庁舎(中央町)。

平成17年の市町村合併時には横手市条里に本庁舎を置いたが、平成26年から前の横手市地域局を本庁舎に変更した。  
   
空から見た市役所

大町下丁で昭和38年〜平成元年まで使用された。

公立横手病院の跡地に建設された。  
 昭和50年代

川向いより見る。  
   
昭和28年頃(*3)

写真の中央が学校橋。橋を渡った左側の小さな建物が市役所。
市役所の後ろの大きな建物は南小学校。

南小学校校庭で大正11年〜昭和38年まで使用された。  
 
学校橋より見る(*3)  



横手病院
平成29年

現在の横手病院(根岸町)
昭和30年(*3)

大町下丁時代

後年、この地に市役所が建てられた。

昭和初期(*1)

左の大きな建物が横手病院。

現在は河川整備されて、この病院敷地は河道となっている。
 
大正初期(*1)

右側の白い屋根の建物。

増水で今にも浸水しそう。  

明治30年(*3)

左の大きな建物。

横手川沿いに丸太の土留めが造られている。



出展
(*1) 『思い出のアルバム 横手』(監修;伊沢慶治 発行所;無明舎)
(*2) 『目で見る横手・湯沢・平鹿・男勝の100年』(編集;小坂太郎他3名 発行所;郷土出版社)
(*3) ふるさとの思い出 写真集 明治大正昭和 横手(薄葉篤蔵 須藤功 編) 発行所(株)国書刊行会
(*4) 横手市史 通史編 近現代(横手市)
(*5) ふるさとの遺産(秋田県建築士会 昭和63年


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